ひらがなけやき、現在の日向坂46の先駆者でもある長濱ねるさんですが、遅れて欅坂に入ってひらがなけやきを作ったらしいですね。その経緯が知りたいです。秋元康に気に入られたからなのでしょうか?教えていただきた

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親の反対がなかったら今の日向坂は無かったのかもしれないのですね、でも入ってからの苦労の事を考えると複雑な気持ちになります。秋元氏は気に入ったメンバーを出しすぎな気がしますね。

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オーディション時長濱はとても気に入られてS判定をつけられてました。ですが、最終審査母親に連れられて辞退しました。ずっと落ち込む長濱を見て父がダメ元で運営に電話をした所、乃木坂のライブに来ないか?と誘われ見に行きました。そこで秋元真夏の両親からの手紙が流れたそうです。他の親も娘を不安ながらに送り出してるんだなと思い、反対していた母親もアイドルになる事を応援してあげようという気持ちになりどうにかできないか?と頼み特例で遅れて加入が決まりました。

欅坂(鳥居坂)一期生オーディションを受け、順当に最終審査まで残ります。が、最終審査でもとより娘がアイドルになることに反対的だった母親に強制的に地元に連れ戻されたことで最終審査を受け損ねてしまいます。 家に帰ってからは泣きじゃくる毎日で精神的にも疲労していたみたいで、さすがに可哀想だとみかねた父親が運営に相談し、長濱が元々最終審査以前から最高評価だったことも相まって特例で合格が承認されます。 しかし特例は特例。正規での合格ではありません。これでは正規で合格した欅坂メンバーに示しがつかない、ということでひとまずは彼女を研修生扱いにして、欅坂のアンダーという名目のグループを新たに作り、そこを彼女の最初の活動の場所にしました。それがひらがなけやきです。 ひらがなけやきは長濱一人からのスタート。『長濱ねるの仲間を集めよう』とひらがなけやきの一期生オーディションも同時に開催されます。 そうして集ったのが現日向坂一期生です。 ちなみに長濱ねるは程なくしてひらがなを脱退します。しかし長濱ねるが始まりの人であることは変わりありません。